本金の蔵

歴史

宝暦6年、創業者である宮坂伊三郎が酒株を譲り受け酒造業をはじめたのがはじまりです。屋号は志茂布屋(しもぬのや)。当時、上諏訪町(今の諏訪2丁目のあたり)には13軒の造り酒屋があり、その内の1軒でした。

ご先祖は諏訪の町の文化、商売の発展にも尽力をしていたようで諏訪湖に川えび、しじみを放流したり諏訪旧蹟誌という書物をまとめたり、神社の神主をやるなど酒造業以外の活動も多かったようです。

明治、大正、昭和と激動の中、屋号も志茂布屋から現在の酒布屋に改めます。そして、戦争の混乱の中で酒造蔵は国の政策で縮小され、廃業を迫られる蔵もでてきます。しかし本金は保有工場となり廃業の難を免れます。
ちょうどその頃、現在の本金の酒造りの流れが形成されます。

その当時はまだ地域に酒造りの技術者がおらず、本金では広島から杜氏を招いてお願いをしていました。その後その中で学んだ富士見乙事出身の三井氏が諏訪杜氏として本金を醸し、次いでやはり乙事出身の北原太一氏へとバトンが受け継がれていきました。北原氏は高校卒業後から本金へ蔵人で来るようになり、それから本金一筋。50年以上本金を醸し続けてくれました。そして杜氏として本金に初の全国新酒鑑評会金賞受賞の栄誉もあたえてくれました。この受賞は山田錦が多く賞を占める中、長野県産美山錦での受賞と意味のあるものでした。そんな北原太一杜氏の名前を頂いた「からくち太一」は本金の代名詞、看板商品として本金の主力となっています。

平成の世に入り、現在本金の製造量は100石強の極小量、杜氏は平成20年より蔵元である宮坂恒太朗へと引き継ぎ、「本金」のブランドに込められた「本当の一番(金)の酒を醸す」ことを目指し努力を続けています。

本金ロゴ

本金の文字には「本当の一番(金)の酒を醸す」という想いが込められています。また、左右対称の2文字から、「裏表のない商売」という意味も。「一番」の酒とは何か、日々の中で「本金の金」を追求しながら酒造りをしています。